ビヘイビア @川越スカラ座
2016年 03月 27日
SKIPシティ国際Dシネマ映画祭、というのは聞いたことはなかったが
昨年のその映画祭の受賞作にキューバ映画があり、更にそれが一日だけスカラ座さんに掛かるという。
舞台が学校で、しかもまさに今のキューバの状況を描いているという作品、
これはもう何が何でも行かなくては!!
出かけるタイミングで車のバッテリーが上がっていることに気付いて呆然、
急遽自転車30分コースになろうとも、見逃すわけにはいきません。
Habana bieja、Centro Habana ・・・いわゆる旧市街。
ユネスコの世界遺産に登録されてはいるけれど、観光名所以外はそんなお仕着せの修復が追いつくはずもない。
朽ちるに任せるばかりの古い石造りの建物をアパートとして、そこに住むしかないような人たちが住んでいる。
主人公の少年はそんな建物の狭いひと部屋に、薬常習者の母親と二人暮らしで
学校では友達とつるみ、街の中では子供なりにしたたかに、いっときも動きを止めない回遊魚のように生きている。
でも目端の利く子はそういう環境でも自分で出来ることをさっさと見つけてしのぐのである。
この主人公の少年は、多分13,4歳くらいなんだろうけど、何ともいえない色気があるんだなあ。
突っ張ってる戦闘的な目付きがたまりません。
先日オバマ大統領がキューバを訪問した際に
「キューバでは人権問題がまだ改善されていない」という趣旨の演説をした。
政府の決定への反逆は許されず、発言の自由もなく、宗教を認めない国、ということだ。
私はそういう締め付けをあまり実感したことはなかったのだが
この映画の中でもいくつかそれを思わせるエピソードがあったので、やはりそれは事実としてあるのだろう。
学校という「政府の片棒担ぎ」のような場にあって、決して良い環境で育っているとはいえない子供たちの味方は
一人の老女性教師。
「先生が自分のおばあちゃんだったら良かったのに」と、やんちゃな子供に思わせるほどに
彼女は子供たちの意思を尊重し、政府のためではない、彼ら自身のために生きるよう教育する者として
子供たちの前に立つ。
「二十四の瞳」ってこんな感じだったのだろうか。
ただし、子供達は先生が好きだけどやりたい放題だし、迷惑なこともするし、警察のお世話にもなるし
周りの環境が子供が“普通に”生活することを許さないこともある。
先生にしても理想は譲らないが感情で動いたりもする。
でも、それでも人間同士の密着度がものすごく高くて、良くも悪くも深入りするのだ。
だから「上の決定なので」と深入りすることなく事を成そうとする人間に反発するのだ。
「自分で考えて決めなさいよ!」と。
これはやはり国民性なんだろうな。
芯は非常に冷静なのだが、この暑苦しさがややもすると「情熱的」と解されるものなのかもしれない。
大人の複雑な状況に巻き込まれる子供たちに〈持たざる者〉の諦めはあるが、
反面、生命力の強さというバネがあって荒む暇などないのだろう。
生きなくちゃならないんだから。
彼らは日々闘っているのだ。
だからとても魅力的なのである。
昨年のその映画祭の受賞作にキューバ映画があり、更にそれが一日だけスカラ座さんに掛かるという。
舞台が学校で、しかもまさに今のキューバの状況を描いているという作品、
これはもう何が何でも行かなくては!!
出かけるタイミングで車のバッテリーが上がっていることに気付いて呆然、
急遽自転車30分コースになろうとも、見逃すわけにはいきません。
Habana bieja、Centro Habana ・・・いわゆる旧市街。
ユネスコの世界遺産に登録されてはいるけれど、観光名所以外はそんなお仕着せの修復が追いつくはずもない。
朽ちるに任せるばかりの古い石造りの建物をアパートとして、そこに住むしかないような人たちが住んでいる。
主人公の少年はそんな建物の狭いひと部屋に、薬常習者の母親と二人暮らしで
学校では友達とつるみ、街の中では子供なりにしたたかに、いっときも動きを止めない回遊魚のように生きている。
でも目端の利く子はそういう環境でも自分で出来ることをさっさと見つけてしのぐのである。
この主人公の少年は、多分13,4歳くらいなんだろうけど、何ともいえない色気があるんだなあ。
突っ張ってる戦闘的な目付きがたまりません。
先日オバマ大統領がキューバを訪問した際に
「キューバでは人権問題がまだ改善されていない」という趣旨の演説をした。
政府の決定への反逆は許されず、発言の自由もなく、宗教を認めない国、ということだ。
私はそういう締め付けをあまり実感したことはなかったのだが
この映画の中でもいくつかそれを思わせるエピソードがあったので、やはりそれは事実としてあるのだろう。
学校という「政府の片棒担ぎ」のような場にあって、決して良い環境で育っているとはいえない子供たちの味方は
一人の老女性教師。
「先生が自分のおばあちゃんだったら良かったのに」と、やんちゃな子供に思わせるほどに
彼女は子供たちの意思を尊重し、政府のためではない、彼ら自身のために生きるよう教育する者として
子供たちの前に立つ。
「二十四の瞳」ってこんな感じだったのだろうか。
ただし、子供達は先生が好きだけどやりたい放題だし、迷惑なこともするし、警察のお世話にもなるし
周りの環境が子供が“普通に”生活することを許さないこともある。
先生にしても理想は譲らないが感情で動いたりもする。
でも、それでも人間同士の密着度がものすごく高くて、良くも悪くも深入りするのだ。
だから「上の決定なので」と深入りすることなく事を成そうとする人間に反発するのだ。
「自分で考えて決めなさいよ!」と。
これはやはり国民性なんだろうな。
芯は非常に冷静なのだが、この暑苦しさがややもすると「情熱的」と解されるものなのかもしれない。
大人の複雑な状況に巻き込まれる子供たちに〈持たざる者〉の諦めはあるが、
反面、生命力の強さというバネがあって荒む暇などないのだろう。
生きなくちゃならないんだから。
彼らは日々闘っているのだ。
だからとても魅力的なのである。
by quilitan
| 2016-03-27 22:58
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