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「全共闘」とか「左翼」とか、言葉では知っているけど
実態が何なのか全然分かっていない私が
その時代のど真ん中を感じることが出来るのか、
実話ということも相まって、入り込めないのではないかという危惧もあり
でも監督は私よりも年下だし・・・などと思いつつ鑑賞。

そこは、ちゃんと映画。普遍性のある作品になってました。
過去を振り返るものでもなく
当時にどっぷりのめり込むでもなく
「いま」として見ることが出来る作品になっている。

考えてみればあの60年代から70年代にかけてはちょっと異常だったんだ。
そういう特殊な熱気を差し引けば
いつの世でもああいう人たちがそこここにいる。
でも今、震災という価値観を一変させる状況にあっては
むしろあの特殊性に近いものがあるといえるのかもしれない。
誰に怒りをぶつけたらいいのか分からない、叫びたいような衝動を
みんなが抱え込んでいるという、きな臭い空気は同じ。

それにしてもいい役者が揃ってました。
妻夫木聡と松山ケンイチの若造二人の浮遊感と
周りの先輩ジャーナリストの煮しめた昆布のような濃厚さが
それはもう見事に対比して素晴らしい。
特に妻夫木演じる主人公の直の先輩をやった古館寛治という俳優さん、
一番印象的だったなあ。
往年の名刑事ドラマに出ていそうな
肝の据わった面構えがぞろりと揃うのはいいもんだ。

妻夫木聡は、やはり「悪人」で化けたと思う。
そんなに作品見ているわけではないけど
やっぱりちょっとアイドル俳優的なイメージが強くて
あまり役者として興味が持てなかった。
でも今回の作品を見て、別に何か過剰にやるわけでもないけれど
“男”を演じられる俳優になってきたんじゃないかと思えました。
ラストでは思わずもらい泣きしそうになりました。

  このラストシーンには、個人的にもちょっと興味がありまして・・・
  同じ山下監督の「天然コケッコー」のメイキングで新人の若い主演二人が
  あるシーンでセリフに頼らない芝居を求められて
  それはもう何度も何度もダメ出しされていたのをふと思い出してしまった。
  妻夫木聡がこのラストの涙を演じた時どうだったのかなあ、なんてね。



松山ケンイチも、役がぴったりはまってた。
最近たまたま読んだ、藤原新也という人の散文の一節に
こんなのがあって・・・

   口がとんがっているのは冗舌であり、人より先に口先が回るということである
    (「丸亀日記」藤原新也 :朝日新聞社 刊)

まさに松山ケンイチが演じた人物がこれ。
そして映画の中で彼だけやたら食べるシーンが出てくるんだよね。
しかも結構それが口が汚いというか・・・
彼の顔のシルエットがとても特徴があるので、そのえげつなさが増幅される。
監督は容赦ないですね。
でもそれは、
漫画の主人公という、デフォルメされた人物ではないからこそであって
こういう人物が演じられて「曲者」の役者になっていくんだと思うのです。
松山ケンイチは、「デスノート」のLでの印象が強すぎたせいか
その後も漫画原作の作品ばかりで
初めてまともに俳優として見た気がする。
ピンで主役をやるより、主人公に絡む、クセのある役が合うと思った。
存在感があるから、主役を食いそうな感じがまたいいんでしょう。


あの時代をリアルに知っている人も
そうではない人も
気持ちを共有できる映画だと思います。
どんなに尖った時代にあったって、99%の人間は尖ったままでは生きられないんだ、
ってね。
by quilitan | 2011-05-31 22:48 | 見る | Trackback | Comments(0)

猫と雑文ときどきお絵描き  


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