言わずとしれた超々名作。

今ちょっと中里恒子を休んでいて、久しぶりに読み返してみるかと手に取ったら
これがもう止まらなくなって一気に最後まで読んでしまった。
ほんとうに楽しい。

手塚治虫も描いたように、21世紀がSFの舞台になり得た時代には
2000年を超える頃には「明るい未来」が来ると感じられていたんだろうな。
技術も進歩も「善い方」にシフトしていくという希望があったのだ。

今読むとお伽噺。
でも、やはりそういう望みは捨ててはいけないんだとあらためて思う。




# by quilitan | 2017-06-16 23:30 | 読む | Trackback | Comments(0)

重箱の隅つつきます

とある研修にて。
配布された手引き冊子に書かれたことを担当者が読み上げて補足説明するといったもので
その内容に何ら特記すべきことはなく、よくあるオリエンテーション的なもの。
気になったのは、読み上げる人が途中でつっかえるそのポイントだった。
それは別に難読漢字でもないし、むしろ日頃使う用語でもあるはずなのに
そこ?そこで止まるのか!? と。

これはもしかして読める読めない以前に語彙として頭に入っていないのか?
たとえば「難読/漢字」を「難読漢/字」のような切り方をしてしまうのはそういうことか。

きっと長文を読んだりしない人なんだろうな〜、などと
余計なこと考えて研修終わり。


作業の手間も思考する機会も必要性も、ヒトの代わりに便利なモノがやってくれるお陰で
身の回りには「しなくて済む」ことがどんどん増えてきた昨今。
それ自体はありがたいことで、私もその恩恵に与るもののひとり。
コミュニケーションもマークひとつ、単語ひとつで済むご時世なんだから
楽な方へ流れていくのは当然だ。
でも面倒くさい「読み書き」は、たとえ何が便利になろうとなくてはならないものなのだ。
なぜなら言語は思考伝達の重要な手段だから。
「読める」から見も知らぬ他人の考え方も知ることが出来るし
「書ける」から自分の考えを形にして伝えられる。
勿論「語る」ということも重要だけど、正しく「語る」にはさらに洗練された言葉が求められる。
現に、そういう〈堅苦しい言葉で延々と説明している小冊子〉が仕事の道具として使われるのだ。
甘いものや柔らかいものばかり食べ続けて虫歯だらけになるように
思考を置いてきぼりにした頭は内側からじわじわと溶けていくイメージしかない。


社会人として「これは知らなくてもよし」とされるのはどのあたりまでなのだろう。
広い範囲で見ると意外とハードルは低いのかもしれない。
でもいいのかなあ、これで・・・と言葉フェチなわたくしはちょっと悶々。






# by quilitan | 2017-06-15 07:41 | 考える | Trackback | Comments(0)

そろそろ息切れ

先週に引き続き、今週は群馬まで遠征しての審査。

今日も梅雨時とは思えぬ爽やかな風は、私には吹かなかった・・・・


ええ、外しました。
今日は2本ともアカンやつでした。
先週引いた後は、何となくこのまま行けそうな気がして気分が上がっていたのが却ってよくなかったか。
しかも今日はなぜかとても緊張して、まるで初めて審査を受けるような有り様。
最近まったく緊張せずにいられたので、ああだいぶ慣れたんだなあと思っていた矢先で
弓を引く手がブルっているなんて久しぶりのことでした。

ちょっと疲れが出てきたかな〜。

3月から新しい仕事になって、そっちの緊張と疲れもある中で
休みは休みで弓引きに出かけ、勿論遊びにも出かけ、結局身体は休めてないままだったんだろうなあ。
立ちっぱの仕事で何となく身体が澱んでも、弓引くとそれが攪拌されるような感じで気持ちがいいし
審査前は仕事場から武道館に直行を繰り返しもしていたんだけど
ここへ来てさすがに「疲れた」と自覚するようになってきた。
しかも先週の明治神宮の控え室の冷房がきつくて寒かったせいか、2,3日喉をやられていたりもし
ここらで前のめりの気持ちも身体もちゃんと落ち着かせないといけない気がする。

とはいえ審査はまた申し込んでしまったけどねー。

とりあえず、ちょっとゆっくり。そしてじっくり。



# by quilitan | 2017-06-11 23:52 | 弓道 | Trackback | Comments(0)

すんなりいかないのが私

憧れの明治神宮再び!
今度は至誠館ではなく中央道場。
さすが東京、受審者は400人越えですよ!
そして合格者は30人にも満たないんですよ・・・

肝心の私はまたしても片矢。
甲矢は入ったのだが体配でとんだポカをやらかしたこともあり今回もクリアできず。
審査初の大前になって、そのせいかどうかちょっと集中欠いちゃったかな〜。
乙矢も最後の伸びが足りなかったな、と自分で後からわかるくらいだからダメですね。
今日は気持ちの良い陽気で暑くも寒くもなく
和服も全然苦にならず、こういう時にちゃんと決められるようになりたいものだと
しみじみ思いました。

でも緊張はしなくなったなあ。
自分の射を、という意識がすごく強くなってきたからだろうか。
あれこれ考えるより五段にふさわしい射ができれば受かるだろうという気持ちでいたので
まあ、五段の射じゃなかったってことですね。

勢い付けて来週も続けて審査行ってきます。




しかしまさか、この場所からここの射場を見る日が来るとはねえ・・・
すごーくよく知っている気になってしまいます。



# by quilitan | 2017-06-04 21:31 | 弓道 | Trackback | Comments(0)

フロントランナー

2017年5月31日、手塚治虫文化賞贈呈式。

私の年代では手塚先生の存在はあまりにも大きすぎて
作品が目の前にあるのが当然、それがない世界なんて存在しない。
ひとりの作家という範疇を超えて
ちょうど自分が立っているこの星の大きさが分からないのと同じくらい実感できないものです。

それほどの名前が冠せられるその場にいざ立ち会ってみると
今度は、その名を戴くひとが今までとは別次元に一気に昇っていってしまったような感じがして
これまたあまりにも実感が沸かず、嬉しいとか誇らしいとかいう感情もちょっと置いてきぼり。

ほんとうにすごいんだなあ、とそんな陳腐な言葉しか出てこなくて情けない。


そんな中で、古くからのお付き合いのある方が言われた
"くらもちふさこはフロントランナー"という言葉はとても印象深かった。
先頭切って突っ込んで行く、放っておくと危ない方向にどんどん向かっていく、
そうやって次々に表現を広げていったのだと。
さすが、よく見てらしたんだなあと感じ入りました。



誰も見たこともないような新しい世界を生み出す「創作意欲」を生涯持ち続けていたのが手塚治虫なら
くらもちふさこは「表現意欲」なのかもしれない。
この水はきっと枯れることはないのだろう。枯れようがない。


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お祝いマカロン、ちょっと・・・食べるのに勇気いるよ・・・



# by quilitan | 2017-06-01 23:50 | 雑録 | Trackback | Comments(2)

肉も食わねば

私はあまり肉を好んで食べない。
(なのでマグロの大トロも食べたいとは思わない)
食卓に肉が出なくてもまったく問題なしなのである。
でも挽肉料理は好きだし、しゃぶしゃぶなら脂のない肉を濃いめのタレで食べるのは好き、
焼くなら下味をしっかり付けてよく焼けば食べる・・・
肉の好きな人にしたら「そこまでして食べて貰わなくてもいい」といいたくなるだろうなあ。

でもね、やはり必要なのですよ。


この春から仕事が変わって、最近は食生活も規則正しくなってきた。
朝はパン・コーヒー・黄粉ヨーグルトに時々果物。
昼はお弁当を持っていくのでおにぎりとちょこっとおかずがあったりなかったり。
おやつは仕事場で手に入る甘い物。
そして夜はいわゆる家庭の夕飯。

そんなルーティーンで問題もなかったのだが、先日どうも身体と頭の機動が鈍く感じられ
これは車でいえばガス欠、いわゆるスタミナ切れというものではないかと思い当たった。
身体が「肉をよこせ!」と訴えていたのである。

そうなると肉料理を作るしかないが、ひとり分の肉料理、どうしよう・・・
そういえば買い置きの挽肉が冷凍庫にある。
紫蘇もある、パクチーもある。
母がわけもわからず買ってきて置きっぱなしのナンプラーまである。

ガパオライスガ作れる!

この際ニンニクも油も砂糖も遠慮なしに使って肉もてんこ盛り。
自画自賛の上出来で、思いっきり肉を身体に取り込みました。
ナンプラーがダメにならないうちにまた作ろう。

最近ニュースなどで、元気な高齢者は肉をよく食べるといわれているけれど
確かにエネルギーになるもんだ。
「畑の肉」である大豆は毎日黄粉で食べていても「畑の」はあくまでも「畑」の。
やっぱりたまには正真正銘の肉を摂らないとダメなんだと納得。


今度からもう少しまめにお肉を頂くことにしよう。






# by quilitan | 2017-05-29 23:19 | 雑録 | Trackback | Comments(0)

最近気になること

今さらのように毎日電車に乗る生活になったわたくし。
とはいってもほんの二駅だし、小田舎の単線4両編成電車で通勤地獄とは縁遠いレベルだが
本数が少ない分、混む時はそれなりに混む。
この"それなり"というのが曲者なのか(山手線や埼京線じゃやりたくてもできない)
スペースを譲らない人が多い気がするのだ。
人が乗り込んでくるのに、自分と他人との間にひとり分くらいの空間を保っている。
後ろは人が重なっているのにそこに誰がいるの、といいたくなる。
あと一歩詰めてくれればみんながもう少しずつ緩く乗れるのにあくまでもマイスペースを堅持。
あ、そういう人はほぼ100%スマホで何かやってます。
自分バリアがよく見える今日この頃。


誕生日を迎えてまたひとつ年を取って、これはもしかしてそのせい・・・?
いわゆる「加齢」のせい・・・!!?
最近とみに若い人たちの言葉が聞き取れないんです。
日本語は必ず母音で終わるので曖昧な発音はそうそうないはずなのだが
その母音部分が何だか鼻に抜けて消えていくような感じで
その言葉の最後はどこ!?となり、これはいよいよ耳が・・・と悲しくなってきた。
でも昨日、電車で外国人同士が話していたのが耳に入ってきた時
英語なのにとても聞き取りやすくて驚いた。
勿論意味なんか分かりませんよ。
たま〜に聞き覚えのある単語などが混じれば拾えるくらいのものだったが
何より「言語明瞭」だったのだ。

これは・・・もしや外に向けて伝える意志の差なんじゃなかろうか?

内輪だけで理解し合ったりノリだけで盛り上がって意味のない会話はよくある。
でもそういう時の他人から見た「わからなさ」は「意味が分からない」ということであって
「聞き取れない」じゃないよなあ、と。
私自身、話すことで相手に何かを伝えるのはあまり得意ではないが
せめて不明瞭な言葉遣いはしないように気を付けよう。



そして・・・ウチ猫さんより外猫さんにカメラを向けることが多いんじゃないか?な
わたくしなのでした。


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ウチのコ達はあまり変化がないからついつい・・・
いや、変化なくていいんだけど。平穏無事、ありがたいことです!



# by quilitan | 2017-05-24 23:01 | 雑録 | Trackback | Comments(0)

猫と雑文ときどきお絵描き  
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