ホスピタル・アート

壁に飾られたり、壁画だったり、天井画だったり
病院の待合室や病室などに描かれる作品をいうんだそうです。
まさに「ホスピタリティ」という言葉に相応しい。

たまたま、行くという人と都合が合ったので
版画家・山本容子さんのホスピタルアート展を見てきました。
入場無料なのにかなり作品数もあって見応え充分!
思いがけない収穫でした。
やるねえ伊勢丹。

かなり大きな壁画から、子供向けの小さな額装のものまで
テーマも描かれる内容も色々あるけど
でも、どれも「病院でこういう絵を見たら気持ちがホッとする」というものばかり。
優しく温かい色と、慈しむような筆遣いは共通だ。
山本さんの作品はお洒落でセンスがよくて以前から好きだけど、
これらは「誰かのために」がはっきり見て取れる。
こんなにコンセプトの明瞭なものを見たのはあまり記憶にない。

これを見た人は、きっと「自分に優しくしてくれる人がいる」と思えるんじゃないだろうか。

そういう絵を見られたのがちょっと幸せだった。


リトグラフの即売もあったけど、さすがに私には贅沢なお値段。
「 PIE JESU 」という作品に心惹かれつつも・・・・でもコドワ君より高いし
まあ毎度おなじみのクリアファイルとポストカードで我慢我慢。
頭の中に刻みつけておこう。
by quilitan | 2014-06-30 23:31 | 見る | Trackback | Comments(1)

1号ちゃんリターンズ

さすらいの大脱走野郎、1号ちゃんが
脱走後、初めて庭に現れた。

以前とまったく変わらない距離感と態度。
でもちゃんとここがが安心できる場所だと分かっているようでひと安心するも、
また捕まったりしないかとヒヤヒヤ。


うちでも今度黒いのをTNRするために捕獲器を借りてきたので
またそこに入ったりして・・・・・もう捕まらないでおくれよ!

「好奇心は猫をも殺す」というんだからね!
by quilitan | 2014-06-25 08:43 | | Trackback | Comments(0)

なるほどね

選挙の前になると、ご近所の某巨大政党の支持母体の方々から
「またよろしくお願いしますね〜」というご挨拶を頂きます。

ご近所ですし、馬鹿正直に一票入れるかどうかは別として
「ハイわかりました」と明るく答えるのが常となっています。

おそらく、次(いつかはわかりませんが)も同じようなご挨拶が交わされるのでしょう。


でも。

ほんとうはちゃんと言わなくてはいけませんよね。
自分の意見ですからね。
大事なことですから。

小さな1歩でも踏み出さなくてはいけない、と当たり前のことなのに
気持ちを新たにすることができました。

ちゃんとしよう!!
by quilitan | 2014-06-25 07:44 | 考える | Trackback

ホーリー・マウンテン

スカラ座〈ホドロフスキー祭り〉の2本目。

破天荒とか、突拍子もないとか、色々言葉はあるけれど
この人の作品はどれもさらにその上を行ってしまっているようだ・・・・

基本、欲張りなんだな。
溢れ出すイメージをすべて映像にしようとする。
そういえば「DUNE」でも「12時間、20時間の映画にしたい!」などと言ってましたっけ。
演出を考えて緩急をつけたり見せ場を作ったりということを一切していない(ように見える)。
悪くいえばイメージの垂れ流しです。
テーマがどうとか、実はこういうことを表しているのだとか
そういう深読みは受け付けないくらい統一性がない。
彼のアンテナに引っ掛かったものは、人種や性別、宗教もおかまいなしに
やりたい放題にいじり回す。
常にリミッターが外れた状態である。


この作品では老若男女を問わず、気持ちいいくらい皆さんぱんぱんお脱ぎになります。
もうぼかしが大変。
エロもグロも満載なんだけど、逆に満載過ぎてそれが普通に見えてくる。
さらにいえば、手がなかったり足がなかったり両方なかったり
目玉が取れたり小人だったりという俳優たちも満載。
よくもまあこれだけ、と思うくらい出ている。
まるで画面の中で大きなサーカスごっこをやっているようだ。
そういえばやたら無駄に動物も出てきてたっけ。
これはD.リンチにも通じるところですごく見世物小屋感が強い。
見世物小屋って、自分がどんな目で異形のものを見ているか気付かされる。
ホドロフスキーのあの大きな目が、意識的だろうが無意識だろうが
怖いもの見たさというこちらの気持ちを見透かすかのようだ。

胡散臭い錬金術師(演じるはホドロフスキー)が排泄物を黄金に換える場面が
やたらもったい付けて映し出されていたが
この人にとっての「聖性」ってきっとこんなものなんだろうな。
でも物語なんてあってないようなもの。
そして最後の最後で、映画という作り物の世界の中でその世界を引っ張ってきた「登場人物」が
いきなり「作り手」側にひょいと立ち位置を移すという掟破りの離れ業を
あまりにも唐突に、簡単にやってのけて・・・もう呆気にとられるしかなかった!
広げた風呂敷もとてつもなく大きいけど、それをからげ取る力技もハンパではなかった。

もうそんな映画。ホドロフスキーの映画、としかいいようがない。
映像的に受け付けないという人もいるだろう。
でも私は嫌いじゃないんだなあ。


ただこれを見て、「DUNE」は未完成でよかったのかもしれないと
ちょっと思ってしまったのが正直なところ・・・・・
by quilitan | 2014-06-23 22:21 | 見る | Trackback | Comments(0)

ホドロフスキーのDUNE

アレハンドロ・ホドロフスキーと、そこにかかわる尋常ではない才能の集まりによって
作られる “はずだった” 幻の超大作『デューン砂の惑星』。
そのいきさつを、ホドロフスキー自身が語るというドキュメンタリー。
久しぶりにパンフ買いました。

おお!この “ 作られなかった ” 「DUNE」の何という贅沢さよ!!

絵コンテを描いたのは、フランスのバンド・デシネで名を馳せたメビウス。
特殊効果を任されたのは、のちに「エイリアン」を作ったオバノン。
美術デザインにはギーガー(この映画公開直前に亡くなった・・・・)
出演者にはダリにオーソン・ウェルズにミック・ジャガー、音楽にはP.フロイド・・・
ホドロフスキーのほとばしるイメージが次々とそれに見合う人々を呼び込んでいく。

ホドロフスキーはまるで強烈な磁場を持った人のようだった。
この映画の中でも、自分の描き出す「DUNE」を語る語る、止まるところを知らずに語る。
“これはこうしたいんだ” “ここはこう描くんだ” と
表現することへの凄まじい熱波のようなものが吹き出して、こちらの脳を直撃する。
この熱気に巻き込まれて色々な才能が吸い寄せられたんだとあらためて感じた。
ギーガーの言葉が印象的だった。
「自分は原作をまったく知らないが、ホドロフスキーが全部話してくれたので問題はない」と。
原作のイメージではなく、彼の語る「DUNE」のイメージを描いたのだ、と。

本人も、毎朝必ずスピーチしていた、というくらいとにかく映画のイメージを語り倒していたらしいが
その時と変わらぬパッションでこのドキュメンタリーでも語っているのだ。
この人から「これができるのは君なんだ!」なんて誘われたら
ダリくらいぶっ飛んだ人間でなければ断るなんてあり得ない。

しかし、衣装、美術、絵コンテによるカメラワークまできっちりと決まった
厚さ10センチ以上にもなる設定資料本を作成したあと、肝心の撮影に入ることはなかったのだ。
そのイメージのあまりの自由奔放な強さに、算盤勘定がメインの映画業界は怖じ気づいたんでしょうね。

ホドロフスキーによる制作が頓挫したあと、この企画はD.リンチによって実現する。

「自分がやりたくてやりたくてたまらなかったのに他人に作られてしまった」映画を見るのが
悲しくてたまらなかった、と。
ホドロフスキーはリンチの才能を評価していたので、なおさらだったようだ。
劇場ではずっとうつむいていたのだが、見ているうちにどんどん気分が晴れていった、
なぜなら「これは失敗だ」とわかったからだ、と。
「これが人間の正直な感情だろ?」
こういうことが言えちゃうのもたまらないところだ。

ホドロフスキーは芸術家だ。
そして同じく創造し、それを形にする芸術家には賛辞を惜しまない。
但し、精神を伴わない「技術屋」には手厳しい。
その真っ直ぐさ、開けっぴろげさ、そして熱情。御年84歳と聞いてびっくりですよ。
300歳まで生きたいというが、ほんとうに生きそうなくらい若々しく、そしてなんといってもチャーミング!
目がキラッキラで、精神が肉体を作り上げる良い例だと思う。
息子の方がよほど落ち着いて、年相応だけど老けて見える。
これはね、みんな“たらされ”ます。
しかも猫飼ってるし・・・・・ふふ。


それにしてもメビウスの絵コンテ、素晴らしいなあ。
ああいう達者な人のラフ絵っていうのは本当にたまらない魅力がある。
そして「砂の惑星」、中学の頃に石ノ森章太郎が挿絵を描いていたというだけで手をだしたものの
巻末に独自の用語辞典まで付いていてあまりの難解さと面倒くささに辟易した記憶がある。
でも今回、主人公の名前とか、砂虫のイメージとか、自分では殆ど忘れていると思っていたのに
記憶が蘇ってきたのには驚いた。
ホドロフスキーのイメージでもう一度読んだら面白いかもしれない・・・・


「サンタ・サングレ」が好きだったのもこういう人が作ったからだったんだな。
84歳にして新作公開もあるし、楽しみだ。
このドキュメントももう一回見たいなあ(あ、ちなみに川越スカラ座です)。
by quilitan | 2014-06-18 23:09 | 見る | Trackback | Comments(2)

王様の耳はロバの耳

いえ、至って真面目な話です。

弓道を始めて早4年が経ちましたが、三段昇段を前にこの1年ほど足踏み。
もちろんそれは、ひとえに土壇場に弱いわたくしのノミの心臓が悪いのです。
何かのせいになどできるものではございません。
ただ最近〈このままで良いんだろうか?〉という気持ちがふつふつと・・・



私たちは道場で「決まった指導者につく」ということがない。

特定の先生の門下生、という人たちもいるのだがその一派は囲い込みが激しく
そこに加わることはあまりお勧めしませんよ、と初めにやんわり忠告があった。
徐々にそのへんの様子がわかってきたので、今さらそこに入る気など毛頭ないのだが、
そうなると当然、グループへの帰属を望まない人たちの練習する時間も決まってくる。
そこはレベルも年齢も男女も様々で、もちろん高段者もたくさんいらっしゃる。
私は仕事の間には頻繁に道場に行けるので、矢数をかけられるのはもちろんのこと
人の射を見てあれこれ試行錯誤したりもできるし
見かねた上段の方にアドバイスをしてもらえる機会も多い。

でも、それは「指導」 ではない。

それに段位という序列は絶対で、たとえばこちらが聞きたいな、と思うような人がいても
そこにその人よりも高段者がいたらそちらを差し置いて指導するのは
憚られるのがこの世界(らしい)。
高段の取得がずいぶん前で、技術や頭が更新されてないままの方であっても、だ。



初心者教室は入り口としては大いにありがたいものだ。
とりあえず弓に慣れて、曲がりなりにも矢を飛ばせるようになれば上出来だ。
ただ、教室が終わって、そこで弓から離れていく人はそれでいいのだが
弓道連盟に加わって(私もその一人)この先もやっていこうという人は
初心者の教室では通りいっぺんしかやらなかったことを
今度は本格的に「弓道」として覚えていくことになる。

もちろん、初心者でなくなったからといって、いきなり海に放り込まれるようなことはなく
その後、教室と同じ時間帯でちゃんと指導的立場の先生がいらっしゃるのだが
1対1で見てくれるような「補習稽古」というものではないので
あくまでも「フォロー」であり「指導」ではない。
もっとも、ちゃんとした枠組みでない分、教えて欲しいと思う人は新入りだろうが古参だろうが
誰でも参加できるので教室終わった人たちでその曜日は大賑わいである。
もちろん私もその一人。
言い換えれば、それだけ「教えてほしい」と思っている人が多いということだ。
そして、そこでしか〈見て貰える〉場がないということ。

確かに、いつもの練習時間は和気あいあいとマイペースで引けるので
私もこれまではこのままでいいと思っていた。
ただ、初心者の域から一歩進んだくらいのレベルになると、生意気なようだが
自分でも色々考えるようになる。
でも自己流であれこれやっていると、
いいときはいいけれどすぐに崩れる、という繰り返しに陥ってしまうのだ。
どこをどう直したらいいのかわからないままやっているうちに負のスパイラルにはまって
本当に浮上するきっかけがなくなってしまう。
何となく弓を引いて、何となく見よう見まねで慣れて
上の方々が気がつけば助言を頂けて、そうでなければそのままで・・・
時には本を読んで自分なりにも考えて
「あ、これはこういうことか!」と得心がいくこともあったんだけど
そんなものはあくまでもド素人の自己流なので定着しないのである。

私だって別に弓道一直線というわけではない。
余裕の年金生活者とは違い、仕事が優先に決まっているので忙しければ道場にも行かなくなる。
「こっちは趣味ですものねぇ」といわれてもしかたない。
(その同じ口が「今度こそ(審査に)通らないとね」・・・・っていうんだな)

しかし好きで始めたんだから上達したいのは当たり前だ。
ちゃんとやりたいのである。
たとえ毎日道場に行っていても、漫然と、良いのか悪いのかわからないまま引き続け
気まぐれに “指導” されるだけで終わるばかりのやり方は、先に進みたい、と思うほどに
切実な問題になってくる。

崩れたときの立て直しには、やはり的確な指導が必要なのだ。
昔は指導なんてものはなくて、みんな必死で盗み取った・・・・のかもしれないが
今、それこそ講習会なんていうものまであるんだからそれをいうのは無意味なことだ。
講習会に参加してれっきとした教士・範士の方にきっちり指導を受ける機会が増えるにつれ
皮肉にも日頃の自分の練習(稽古とは言えない)とのギャップがなおさらはっきり見えてきた。
それに教わることで近道ができて楽をするわけではない。
指導といっても、弓は個人技で人それぞれ体型や力によって形もやり方も変わってくるので
その「指導」を生かすも殺すも自分次第、という意味で自己修練はより必要になる。


個人的には去年の暴言の一件がひとつのきっかけになった。
指導者というもの、指導というものを考えさせられたからね。
しかもその御当人、しばらく私にかかわってこられなかったのに最近また「ご指導」下さるもので
ますます今のままでは・・・という気持ちが大きくなってきた。
そもそもうちの道場に「指導者」といえる人がどれだけいるのか、と思う。
それでも他所で稽古できないんだよね・・・


そうやって何となく悶々としていたところに「県の錬成会に行ってみては」というお誘いを受けた。
定期的に、ちゃんと県で指導もされている講師の先生が付いてくださって
しかも、誰でも参加出来る、いわばプチ講習会。
堂々と、他の先生から教えて頂けるのである!!

渡りに舟で参加してみたら、もう驚きです。
坐射で2~3立、時間にして1時間半という短さなのに
1対1できちんと見てもらえて、細かく「指導」してもらうとこんなにも違うものかと
目から鱗がごっそり落ちた気がする。
しかも、件の先生に『直してないじゃないか!』とブチ切れされた部分は
正反対の指導をされましたよ・・・・・・・・・・さらに鱗がポロリ。

何でもっと早く参加しなかったのか、とそれが本当に悔やまれる。
別に最近始まったものではなく、ずっと以前からあったのに気付かなかった・・・というか
知ってたけど頭がそっちに向いていなかっただけ。
でもそれでも遅くはないと思いたい。
きちんとした指導をうけて、初めてやるべきこと、道筋が見えて目の前の霧が晴れた気分。
それを考えながら稽古することで、あらためて弓が楽しくなってきたのですよ!!

ただ、誰彼かまわずお勧めはしないでおく。
今のままで楽しく弓が引ければいいと思う人もいるだろう。
たまたま私はそうではなくなってしまったので、この方法を選ぶことにしたのだから。


これからはちゃんと指導を受けられるところで集中してやって
そのおさらいと確認を道場でやることにします。
正面突破する力がない以上、無用なトラブルを回避するためには
道を避けることも必要ですね。
賢く・・・だ。
by quilitan | 2014-06-16 09:53 | 弓道

子供じゃにゃいのよ!

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もうお外に出たいんにゃ!


そんでもって

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ガジガジしたいんにゃっ!!!



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      ・・・・・・・・・・・・・



毛玉の塊だった生き物はあっという間に子猫になりました。

すっかり離乳食にも慣れ(まあミルクもまだ欲しがるけど)
初めての御開通のあともちゃんと出してるし、おしっこも一人でやってます。
しかもちゃんとトイレで!!!


たいしたもんだなあ。
神経質なくらい排泄のお手伝いやったのが嘘のようだ。

最初の回収時から鼻がずぴずぴいってるのがまだ治らないので
しばらく定期的に医者には通うようだけど
元気すぎるほど元気に家の中を走り回っております。
でもトイレで寝るのはやめて。


年取ってからの子育てって大変なのよ!とよくいうけれど、確かにそうだ。
子猫でも充分すぎるほど実感してます。
by quilitan | 2014-06-13 22:41 | | Trackback | Comments(3)

生贄の子山羊

放牧のケージがすっかり定住地になってしまいました。

やっぱりもうある程度広さが必要なんだなあ・・・
でっかくなったよなあ、パス!!

そこで、ちょっとオモチャなんかもあったら楽しいだろうと
袋に入ったまま置かれていた「ハイジのユキちゃん」を
ゴム紐でケージ天井から吊してみたら
これが面白いように食いついて遊ぶのでありました。
なかなか手間なしでありがたい。


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そして、赤ん坊にはお約束の寝落ち。

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by quilitan | 2014-06-10 08:59 | | Trackback | Comments(2)

ご開通

一昨日から離乳食を始めた仔猫。

獣医さんには「固形物食べ始めたらウンチ出ますよ」といわれたものの
昨日も出ないし今日もなあ・・・と思っていたのだが
夜、放牧したケージの中でなにやら鳴きながら腰を浮かせていたチビッコは

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そこには立派なモノがしっかりと!!!

あまりにもあっさりと自発的にやってくれちゃって、
へっぽこ乳母はホッと胸をなで下ろしましたよ。

その後はモリモリお食事。
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食いつき方も、つい今朝方まではもちゃもちゃした感じだったのに
何となくしっかり“食べてる”感じ。
でもすぐ飽きちゃってミルクもまだ手放せませんがね。


その後はケージの外で再び放牧。


それをじっと伺う鋭い視線・・・・・・

   なんかうごいてる
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   これなんなのよぉ
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気付けば初めてのツーショット。


キッカはもうとにかく興味津々。
気になる、でもドキドキ、ああ気になる・・・・つかず離れずチェックしてます。
でも攻撃する素振りは全くないので、このまま慣れるかな。
コビはちょっと要注意。


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あ、ちなみに女の子です。
そして・・・・・・・多分3匹目になると思います・・・・・ははは

名前は「パス(paz)」です。
by quilitan | 2014-06-08 21:55 | | Trackback | Comments(4)

乳母は迷走中

仔猫は相変わらずウンチくんが出ず、
さすがに一週間はまずいんじゃ?と思い病院へ。

しかし、やはりまだそんなに溜まってはいないらしい。
その代わりに、というわけではないがオシッコがぱんぱんに溜まっていたのでした!
むしろそっちの方がえらいこっちゃでした。
ちゃんと出していたつもりだったんだけど、出きっていなかったのね。
可哀想なことしちゃった・・・ごめんよ。
でも正直、どのくらい出てるのかよく分からないんです。

「飲んだ分は出ないとダメです」そうですよね、はい。


ただ、ここ数日で相当歯が立派になってきていて
噛まれてもけっこう痛いし、何が困るといって
哺乳びんの乳首部分が一日で途中からちぎれてしまうのである。

それを伝えたら「そろそろ離乳食ですね」といわれたので
今日からいきなり固形物に突入。
あまり違和感なく食いつくのはありがたいが
でも固形物になったら今度こそウンチくんも出てもらわないとまずいです!
さらにミルクのように水分量がはっきりしているわけじゃないから
またオシッコの分量も微妙にわからなくなる。
ついつい「ホントにもう出ないのか!?」と気になってしまうじゃないか。
まあ、あまりこっちで神経質になっても仕方ないんだけど・・・


キナとたんごも生まれた時から見てたけど
あのコ達にはちゃんと母猫が付いていたんだった。


勝手に回収しておいて、こんなへたれな乳母ですまんねえ。
by quilitan | 2014-06-06 21:18 | | Trackback | Comments(0)

猫と雑文ときどきお絵描き