カテゴリ:考える( 67 )

重箱の隅つつきます

とある研修にて。
配布された手引き冊子に書かれたことを担当者が読み上げて補足説明するといったもので
その内容に何ら特記すべきことはなく、よくあるオリエンテーション的なもの。
気になったのは、読み上げる人が途中でつっかえるそのポイントだった。
それは別に難読漢字でもないし、むしろ日頃使う用語でもあるはずなのに
そこ?そこで止まるのか!? と。

これはもしかして読める読めない以前に語彙として頭に入っていないのか?
たとえば「難読/漢字」を「難読漢/字」のような切り方をしてしまうのはそういうことか。

きっと長文を読んだりしない人なんだろうな〜、などと
余計なこと考えて研修終わり。


作業の手間も思考する機会も必要性も、ヒトの代わりに便利なモノがやってくれるお陰で
身の回りには「しなくて済む」ことがどんどん増えてきた昨今。
それ自体はありがたいことで、私もその恩恵に与るもののひとり。
コミュニケーションもマークひとつ、単語ひとつで済むご時世なんだから
楽な方へ流れていくのは当然だ。
でも面倒くさい「読み書き」は、たとえ何が便利になろうとなくてはならないものなのだ。
なぜなら言語は思考伝達の重要な手段だから。
「読める」から見も知らぬ他人の考え方も知ることが出来るし
「書ける」から自分の考えを形にして伝えられる。
勿論「語る」ということも重要だけど、正しく「語る」にはさらに洗練された言葉が求められる。
現に、そういう〈堅苦しい言葉で延々と説明している小冊子〉が仕事の道具として使われるのだ。
甘いものや柔らかいものばかり食べ続けて虫歯だらけになるように
思考を置いてきぼりにした頭は内側からじわじわと溶けていくイメージしかない。


社会人として「これは知らなくてもよし」とされるのはどのあたりまでなのだろう。
広い範囲で見ると意外とハードルは低いのかもしれない。
でもいいのかなあ、これで・・・と言葉フェチなわたくしはちょっと悶々。






by quilitan | 2017-06-15 07:41 | 考える | Trackback | Comments(0)

どちらも必要

昨日観てきたばかりの「この世界の片隅に」。
映画の記憶もまだ湯気が出るほど新鮮なこのタイミングでNHKが特集していた。

最近の「クローズアップ現代」は広く浅くで薄味なので大体は予想通りの展開。
戦争が特別なものではなく、その時代に生きていたら日常にするりと入り込んできてしまったものとして
この作品が作り上げた「私だったかもしれない一庶民の目線から戦争を伝える」という新たな形が
戦争を知らない世代をも惹きつけたのだ、と。
確かにこの作品は進化形なのだ。

でも戦争の語り部としてずっと活動していた人たちが
残酷な映像ばかりのドキュメンタリーは最近は上映する場も殆どなくなってきたと
ちょっと歯がゆそうに語っていたのを見て、それはそれで問題なんじゃないかと思った。

原爆でひどい傷を負ったひとびとや、焼け野原に骸の山の映像。
子供の頃に見せられてトラウマになったという声もあるけれど
私は「恐怖」という感覚は必要だと思っているのです。
但し特定の権力者が支配するための道具として用いる恐怖ではない、絶対的な恐怖。
何が怖いって、私は“怖いものを知らない人”が一番怖い。
怖いものを知らなければ人はどんどん傲慢になる。
恐怖だけがストッパーなのだ。


これまで「苦み」ばかりだった戦争の伝え方に、ひとつ選択肢が増えたことはとても良いことだ。
でもだからって苦いのはもういらないというわけではないと思います。

甘いも苦いも、どちらも大事なもの。



by quilitan | 2017-01-13 00:42 | 考える | Trackback | Comments(0)

「美しい」もの

美しい、というのはとても個人的な「感覚」であって
何を以て美しいというかはその人それぞれに基準がある。


たとえば・・・
この色、この形、この希少性、なんと美しい存在、と褒め称えられ
時折新聞でもカラー見開き状態でいきなり登場したりする天然記念物の国蝶オオムラサキなど
私にとってはただもう恐怖、恐怖。


「美しい日本」とか「美しい憲法」とか
「美しい」という言葉が穢れていくような押し売りはやめていただきたいね。
多くの言葉の中からなぜこれを選んだか、という意思が見えていないと言葉は生きてこない。



ちなみに、私が「美しい」という言葉を本当に美しいと思った漫画のタイトル。

『とても美しい小さな朝に』(阿保美代)
『美しき5月の風の中に』(あすなひろし)

もちろん、内容はタイトルにふさわしく素晴らしい。
by quilitan | 2016-07-10 21:41 | 考える | Trackback | Comments(0)

選挙モード

昨日テレビで当選挙区の各候補者を取り上げていたのだが
中の一人が他に比べてどうにも年寄り臭い。
と思っていたら応援に来た“お偉方”も似たような年寄り(しかも男ばかり)で
地元での集会も居並ぶのは年寄り(男)ばっかりで
ああ、この人が誰に向けて語っているのかがわかるなあ、と思ったものだった。

うちとこは砂かけて辞めるような知事もいないし基地もないし、のほほんの代表みたいなところで
争点という意味では地味な感じは否めない。
でもそうなると却ってちゃんと自分で見て決めなくちゃ、という気持ちが強まってくるので
これはこれでいいのかもしれない。

都知事選には参加できないけど、候補者選びのゴタゴタなんか見ると
演説聴くよりもあからさまに見えてくることがあって面白い。


投票は必ず行きますよ〜〜!!
by quilitan | 2016-06-30 08:30 | 考える | Trackback | Comments(0)

不安だから

熊本を中心とした九州と、中国四国地方にまたがる範囲で起こった大地震。

これまでの地震とは違う様相を呈しているという発言も聞かれるし
そもそも地震はまだ予知不可能なことなので、何があっても「想定外」といってはいけないのだと
5年前の大震災で身に染みた。


そんな中でも、九州四国中国の原発は「問題なく通常運転」している。
また「想定外」におんぶしているような気がして
単純に「大丈夫なのか?」と思うのはバカなんでしょうか?


地震だ、すぐ原発止めろ!とヒステリックに騒ぐ気は毛頭ないが
地震だ、ガス消して!という至極一般的な感覚でいえば
この状態で動かしていて大丈夫なの?という“不安感”があっても当然ではないだろうか。
そしてこういう単純な不安感を「無知」と嗤う資格は誰にもない。

調べればいいじゃないか、といわれるかもしれないけれど
福島の件だって、いまだに情報の後出しが続いているのだから
どこの情報が確実なのかがそもそもよくわからない。

「原発は安全」という人も「原発を止めろ」という人も
それぞれが相手を貶めることで自己主張していくんだよね。


私はただ、運転を続けることと今すぐ止めること、それぞれのメリットデメリットをきちんと示して欲しいだけなのだが。
それだけなのだが。




この国の、種々決めごとをなさる方々は、〈事実をきちんと正しい言葉で伝える〉ということがどうしてこうも出来ないのか(それとも敢えてしていないのか?)
野次にしても様々な発言にしても、あまりに言葉を軽んじているので情けなくなる。
言葉を舐めたら大変なことになるのに。


頻繁に見かける中途半端に観念的な公共広告機構のCM。
それを見る頻度で正しい情報に接していれば冷静な判断も出来ると思うんですけどね。
by quilitan | 2016-04-21 16:57 | 考える | Trackback

悪趣味

〈可愛いネコちゃんワンちゃん〉や、ネットに上がった話題の映像ばかり流す動物番組は
ああまたこれで安易な飼い主と腹黒ブリーダーが増えるのかという危惧を感じてしまうのだが
今朝取り上げられていたのは、広島市で殺処分を0にした女性のことだったので
朝から重いけど見ていた。

この人のことは過去にもいろいろなメディアで何度も見聞きしていて
感謝と尊敬、そして申し訳ない気持ちを抱くばかりだ。
そして、殺処分が行われていた頃の処分場が映し出され(勿論今は使われていない)
その名称を聞いた時、耳を疑いました。

「ドリームボックス」


ドリームボックス・・・・?



ああ、こういう場所にこの名を付けるという時点で、ヒトが動物に対して持っている傲慢さが
どれほどのものかということを思い知らされた気がして
情けなさと、この名称を考えた人間と同類でいることの罪悪感に涙が出てきた(爽やかな朝から!)

考えた人はきっとある種“いい意味”で付けたのだろう。
でもその無意識な“優しい気持ち”が傲慢そのものなんだと私は思うのだ。
人間が嫌な気持ちになりたくないからそんな優しい名前を付けるのでしょう?

人間の死刑執行室のドアに〈エターナルリラクゼーションルーム〉とかなんとかいう札がついているものだろうか?



このコはドリームボックスに連れて行く

って、言われていたのだろうか。


過去形であることがせめてもの救い。
by quilitan | 2016-03-06 11:02 | 考える | Trackback | Comments(0)

これでいいのか?

観たい番組までの時間つなぎに漫然と見ていたアニメは
舞台はお決まりのファンタジーな異世界で、
魔法や剣で武装した男女混成の一団が魔物と戦っていくというこれまたお決まりの設定だった。
ただその一団はまだまだ見習いか修行中のようなレベルで力も経験もなく
1匹の魔物を倒すのに全員で寄ってたかって向かっていくのである。

それは“なぶり殺し”という表現がぴったり来るものだった。


力が足りないからなおさら、向かってくる相手に対して「とにかく倒せ!」ということなんだろうが
そういう場合は「やらなければやられる」という切実さが伝わらなければ
ただ野蛮で残酷な振る舞いでしかない。
残念ながら、一見ほのぼのした軽い絵面に加えてあまりの平板な見せ方に
“敵に刃を突き立てて命を取る”ことの重さは微塵も感じられなかった。
セリフで言ったってダメなんですよ、こういうのは。
向かってくる相手にただがむしゃらに剣を振るう姿にゾッとしました。
やられちゃった方の魔物にしたってゴム人形に切り傷が付いたような状態で
痛みもへったくれもありゃしないし、断末魔もおざなりだし
見習いどもが初めての戦闘で心を痛めているような様子がまったく伝わってこない。
見ているものに伝わらないという時点で作品としては致命的。
何がやりたいの?と聞きたいくらい。

たかがアニメ、とはいえない。
絵だけ可愛くて動いてりゃいいってもんじゃない。


まあ私はもう見ることはないけど、ラノベ原作のアニメなので人気は出るのかな。
あれでは「ちょっと人を刺してみたかった」という愚か者が現れるのも頷ける。


そのあとの「Fate/zero」はもっとずっと血まみれの地獄絵図だったけど
作品としての格が違うなとしみじみ思いました。
by quilitan | 2016-01-24 00:02 | 考える | Trackback | Comments(0)

ケモノのために

19日の土曜日から、川越スカラ座で1週間にわたり「犬に名前を付ける日」が上映される。

収容された犬や猫、そして彼らを救うために活動している人々を描いたセミドキュメンタリー。
さらに上映期間中は毎日、動物保護に携わる人たちのトークイベントがあるという優れもの!
今日は、私が1号ちゃん2号ちゃんの時にお世話になった保護活動家の方が登場されるというので
本当は行きたかったんだけど・・・・・体力なく挫折。

もちろん、映画を見るのがつらいということもある。
予告編で出てくる犬や猫の姿を見るだけでもう涙腺崩壊しそうだったし
私は心弱くてそういう現実になかなか立ち向かえないのである。

幸せになって欲しい、ただそれだけ。

とりあえず、ささやかにできることだけをします・・・
by quilitan | 2015-12-21 18:12 | 考える | Trackback | Comments(0)

動物の目は美しい

惰性で見ていたNHKで〈福島の原発事故で出たゴミ〉を取り上げた番組をやっていた。

電気を使っている誰もが考えるべきことなんだろうけど、分かっているけど、
どうにも気が重くなってしまう問題であり
ゴミも意見もたらい回しで4年半、何一つ進んでいないことを見せつけられるのもきついので
ついつい斜め見になっていた。

ところが番組の終盤、行き場のないそのゴミが必要とされている場所があるという。
一体どういうことかと見れば、そこには放牧されてのんびりと草を食む牛たちの姿。

でもそれは汚染の数値が基準を超えて出荷できない牛たち。
そして彼らの命をつないでいるのが、“放射能ゴミ”である汚染された牧草。
商品にならなくなってしまった牛たちを生かし続けてくれる糧が“放射能ゴミ”なのだ。
牛たちは当たり前のように高く積まれた牧草を食べている。
農家は「牛が天寿を全うするまで飼い続ける」という。
牛で生活してきた人の、強烈な矜恃。


汚染された牛が、汚染された食料で生き続ける・・・・
この循環の不条理さに涙が出てきた。




こんな不条理に真っ向から取り組まない、そんな人たちがどの面下げて高い給料もらっているんだろうね。

4年半。人も金も使って、この国は一体何をしているんだろうか。




*最近やらせ騒動で問題になっているNHKなので、これがそういう類ではないことを願う。


by quilitan | 2015-11-21 22:46 | 考える | Trackback | Comments(0)

とりあえず猫を愛でよう

      安倍法案 安保法案 

字面が似ているのは、これも廻りあわせというものか。

ただでさえ老獪な政治屋が揃っているのだから、あれだけ数を恃みにすれば今の野党など赤子の手を捻るようなものだったろう。
なので「みなさまの平和のため」の法案がみなさまの虚を突いてあっけなく採決された。


これを「戦争法案」とセンセーショナルに括るのはいささか疑問もあるが
そんな言葉に置き換えられるのもきちんと説明がなされていないからだ。


相手に理解してもらう努力と、筋の通った説得をしてくれれば納得する部分だってあるはずなのに
くだらないたとえ話をして「説明した」と臆面もなく言い放つ、それが一番腹立たしい。
努力をしないのは、たとえどんなゴリ押しでも最後は通ると思っているからだ。
本気で闘う必要なんかないと思っているからだ。
ゴールはもう決まっているのだからそこに向かって進めばよい、露払いは多勢である。
なんという未成熟。


そして常々思っていること。
議会の答弁には〈過剰な敬語禁止令〉を出してくれまいか!
詰め寄る方はどうしたって厳しい言葉になりがちになる。
受ける側がそれを上回る丁寧な言葉遣いをすると、厳しい言葉の方が「感情的」と取られ
丁寧な応対の方は「冷静=判断力が勝っている」と受け取られるものだ。
もちろん中には本当に感情的になる人もいるだろうが
敬語という情報は付加的なものだから、要点を絞って無駄な言葉を省くにはそれを削るのが一番早い。
その上で失礼のないようにするため、さいわい敬語には3段階あるので最低限のものでも問題はないはずだ。
それを「〜なされましては」だの「いたされるものと」だの、慇懃無礼の見本市を繰り広げ
内容のはぐらかしと要点の不鮮明化が行われるわけだ。
国会だけの話じゃない。
わが街でもいきなり半年後に武道館を閉鎖しますというアッチョンブリケなお達しが来て
説明会というのに参加したけれどまったく同じ。
これも「結果は決まっている」スタンスから一歩も出ず、ひたすら“低姿勢で丁寧な”応対に終始した。
“もう決まったことだから”が出発点。


日本語というのは表現の幅がありすぎて、つくづく議論に向いていない言語なんだと思った。
おそらく老獪な方々はそれを分かっていて逆手に取っているんだろうが・・・・
私は日本語が大好きだ。
だからこそ、こういう愚弄するような使われ方には怒りを覚えるのだ。





蔵造りの街並みと、祭りと、時の鐘があれば観光客は来るからもう充分。
ゆとりがありすぎるくらい広々した博物館も美術館もあるし、立派な駅前大型施設も完成して
ああなんて文化的な街なんだらう。
by quilitan | 2015-09-20 00:58 | 考える | Trackback | Comments(0)

猫と雑文ときどきお絵描き  
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