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久しぶりの中里恒子。


「わが庵」(短編集)も「南への道」もいずれもモチーフは作家本人の身辺の出来事。
このひとは、兄たちが揃いも揃って外国人を妻にし、果ては自分の娘までがアメリカ留学で現地の人と結婚して
そのまま永住してしまうという、いわば「それぞれの価値観」というつむじ風にずっと巻き込まれていたようだ。
確かにそうそうない経験だと思うが、それらが個人の雑感で終わらずに
作家としてのフィルターを通すことで「作品」になっているということだ。
それは作家自身も幾度となく書いていることであり、かなり自負心があるポイントなのだと思う。

今読んでちっとも古臭さを感じないのは、この作家の芯の強さが時代に関係なく
普遍的なものだからだろう。
“結局人はひとりで立っていくもの" というところで私は共感するのだ。
戦前の古い体質の中で「女は」とカチカチと固められて育つであろう時に
良くも悪くも自由な突風に晒されて揺さぶられて、でもきっとそのお蔭で
自分の「芯」の部分がはっきり自覚できたんだろうと思う。


「歌枕」や「時雨の記」のように、この人の作品は一見すると男性に対して痒いところに手が届く、もしくは
男が無理難題言っても堪え忍ぶような出来た女が多いのだが
でも実は男に凭りかかっていないのである。
むしろ男の方がもっと凭りかかって欲しくて、自分なしではいられない女であってくれと望んでいるように見える。
つまり五分と五分。
男女の間に置かれる骨董やら料理やらといったものがふたりの五分五分の繋がりを象徴している。
そういえば、私の大好きな中上健次の「軽蔑」でも、主人公のダンサーが自分の男に対して常に
「五分と五分」と呪文のように言っていたっけ。

もしかしたらその辺が私のツボなのかもしれない。


しかしそろそろ図書館の蔵書分は借り尽くしそう・・・さてどうしたもんかな〜。



by quilitan | 2017-07-01 23:29 | 読む | Trackback | Comments(0)

言わずとしれた超々名作。

今ちょっと中里恒子を休んでいて、久しぶりに読み返してみるかと手に取ったら
これがもう止まらなくなって一気に最後まで読んでしまった。
ほんとうに楽しい。

手塚治虫も描いたように、21世紀がSFの舞台になり得た時代には
2000年を超える頃には「明るい未来」が来ると感じられていたんだろうな。
技術も進歩も「善い方」にシフトしていくという希望があったのだ。

今読むとお伽噺。
でも、やはりそういう望みは捨ててはいけないんだとあらためて思う。




by quilitan | 2017-06-16 23:30 | 読む | Trackback | Comments(0)

「天使の季節」は、若者が主人公なので却って古さが目立つものだった。
昔の日本映画を観ているような感覚ですね。
若尾文子とか有馬稲子とか、ちゃきちゃきした美人女優が眼に浮かぶ。
男は池辺良とか。

「花筐」は、「歌枕」に入っていた二編が含まれていた。
そういうダブりも結構あるのだがなにせ閉架書庫から出されてくる本なので
残念ながら借りる前にチェックできないのである。

このひと、純然たる創作ももちろんあるが、
中短編には自分の身の回りの出来事や人をモチーフにした作品が多い。
さらには同じモチーフを繰り返し用いて書いていたりもする。
でも自分自身を投影しているわりに現実感が薄いのは作家としての眼が効いているということだ。
その辺が好みでもあるのだが、ここまで立て続けに読んできて、タイトルと作品の中身が混然としてきた。
前のめりに次々と読んでいるので、中身がトコロテン式に押し出されているということか・・・
自前の本なら読み返せるのに・・・とちょっと思うが置き場所がないのは致命的。


とりあえずこの辺で一旦小休止して、少し落ち着こう。




by quilitan | 2017-05-18 21:47 | 読む | Trackback | Comments(0)

土筆野 : 中里恒子

図書館の、閉架書庫に入っているものを資料請求で出して貰う。
中里恒子の本は全てその形で借りているのであらかじめ内容を確認できない。
今回も半分は以前読んだ別の作品集に入っていた。
どれを読んだのか、そろそろわからなくなってきた。
ちょいちょい借りに行くのも面倒くさい。
ほんとうは5冊までは借りられるけど、2週間で読み切るのもちょっと微妙なので
控えめに3冊くらいにとどめていると、これが読み切っちゃったりするのだな。

閉架書庫で眠っているくらいなんだからどうせ他に借りる人なんていないんでしょ?
本に貼ってある貸出し簿では最終貸し出しは昭和50年代だよ・・・?
この際貸し出し冊数も期限もオマケしてくれないかしら、なんて
ちょっとわがままな気分になっております。

by quilitan | 2017-04-26 20:18 | 読む | Trackback | Comments(0)

誰袖草 : 中里恒子

表題作「誰袖草」と、「置き文」。

実は私の本棚には日本の女性作家の作品が非常に少ない。
複数冊あるのは近藤史恵と篠田節子と佐々木丸美、おっと髙村薫先生も女性であった!
まあそんな感じで、あとはパラ、パラ・・・

そんな私がどっぷりはまり込んだ中里恒子の作品。

読み始めた当初は何でこんなに次々と読みたくなるのだろうとあれこれ分析もしてみたものだが
こう続いてくるとそれも意味のないことに思えてきた。
とにかく読みたいから読むだけ、それで充分である。
もちろん中にはちょっと読み飛ばすようなものもあり、そろそろ「飽きたかな」と思うと
また潜水するように浸りこんでしまったりして楽しんでいる。

この作家の芯の強さ、そして現実と仮想世界を隔てる垣根の低さに
確かに私が好んで読む女性作家の系譜と同一線上にあるのだと納得するのである。
作家の年代を考えれば、むしろ根っこにあたるといってもいいかもしれない。

自分の好みが偏っているのは承知しているが
でも中里恒子は芥川賞も受賞しているわけだし、“今” もっと読まれてもいいのではないかと思わずにはいられません。



by quilitan | 2017-04-23 20:40 | 読む | Trackback | Comments(0)

水鏡 : 中里恒子

読書メーターが開けなくなっちゃったのでその代わりの覚え書き。

頭の中がすっかり旧仮名遣い文になってしまっています。

こんなに図書館を利用したのは久しぶりだなあ。
とりあえず市の図書館にあるぶんは全部読む。




by quilitan | 2017-04-16 23:38 | 読む | Trackback | Comments(0)

百萬 :中里恒子

図書館にも全部揃っているわけではなく
本気で全集買いたいと思う今日この頃です。



ちょっと前のイケセイの古本市で買えばよかったなあ・・・
まさかここまではまるとは思わなかった。




by quilitan | 2017-04-09 21:55 | 読む | Trackback | Comments(0)

關の戸 : 中里恒子

本当にこの作家は・・・ひとことで言えば猛烈頑固者(だからこそ作家だったとも思う)。
まあ扱いにくいおばさんなんだろうなあ。
ただ、感情的にはけっこう突き抜けるのに、それを一旦深呼吸して自分の中に納め
もう一度別の形で表に出す。
実際に作者の回りで起こったこと、を「作品」にちゃんと昇華している。
そこが作家たるゆえんだとあらためて思い知る。
そういうところが好きなの。

ちょっと自分にある部分を感じつつ、この扱いにくさを面白く読んでいるが
これも自分の年齢が上がったせいだろうか。
今出会うべくして出会った作家なのかもしれない。


今朝の新聞の投書欄で、再び「読書は必要か不要か」のようなテーマが取り上げられていた。
でも読書は趣味なので、嫌ならしなければいいのである。
押しつける気はまったくありませんが、面白かったら「面白いよ!」とお勧めはする。
だって「好きなモノ」はお勧めするのが人の常。
私は読書を試験と連動して考えることに非常に違和感があるので
同じように考えている人もけっこう多くてちょっと安心。


しかし・・・やっぱり全集買っても良かったんじゃね?と思う今日この頃。



by quilitan | 2017-04-05 08:35 | 読む | Trackback | Comments(0)

家の中 : 中里恒子

はい、また中里恒子です。

これの前に「回転椅子」というのも読んでいます。

今回は、作家本人の身辺に起きたことを軸につらつらと書いているということだが
それでも“エッセイ”というよりは短編を読んでいるような感覚。

この人の価値観というか考え方が、何となく他人事と思えないところがある。
〈よそ様の生き方をとやかく言わないのでわたしにもそのようにお願いしたい、
 わたしのことはわたしが決めますので〉
口調は丁寧だがそれだけは譲れない、という堅い意思が感じられる。
小気味良いオバサンだ。

これまで読んだ作品から「孤独の肯定」を感じたのは間違いではなかったようだ。


読書メーターがバージョンアップして私のPCに合わなくなり
あっちに書き込めなくなっちゃったのが不便である・・・


by quilitan | 2017-03-30 22:14 | 読む | Trackback | Comments(0)

解脱したような真っ直ぐなヒトと、彼の隣で自立している猫。
読み始め早々から何となく話の成り行きが想像できたのに併せて
これはまずい、外では読めない!と思った。
「いつかまた会えるね」は禁句でしょ〜。
これはもう・・・心臓のど真ん中に突き刺さる。

話の展開はおおよそ予想通り、でも涙腺の決壊は予想を遙かに上回って滂沱の涙となりました。


これは幸福なお伽噺だ。


・・・そんなお伽噺なのに・・・
またどこぞの感動させたがり屋が「みんなで泣きましょう!」と実写化するらしい。
どうしてそれぞれの心で想像されるものを尊重してくれないのかなあ!!
大事にしまっておきたい気持ちを、特定の顔や声で決めつけられる残念さと言ったらない。
しかも猫に演技させることになるんだよねえ。
それってこの物語の根底に関わることだと思うんだが・・・

昨今の邦画界、活気づいているといわれてはいるが原作ものばっかりで
実情は想像(或いは妄想)する喜びを奪うことしかしていないのでは?と思う。




by quilitan | 2017-03-25 21:52 | 読む | Trackback | Comments(0)

猫と雑文ときどきお絵描き  
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