カテゴリ:読む( 127 )

「天使の季節」は、若者が主人公なので却って古さが目立つものだった。
昔の日本映画を観ているような感覚ですね。
若尾文子とか有馬稲子とか、ちゃきちゃきした美人女優が眼に浮かぶ。
男は池辺良とか。

「花筐」は、「歌枕」に入っていた二編が含まれていた。
そういうダブりも結構あるのだがなにせ閉架書庫から出されてくる本なので
残念ながら借りる前にチェックできないのである。

このひと、純然たる創作ももちろんあるが、
中短編には自分の身の回りの出来事や人をモチーフにした作品が多い。
さらには同じモチーフを繰り返し用いて書いていたりもする。
でも自分自身を投影しているわりに現実感が薄いのは作家としての眼が効いているということだ。
その辺が好みでもあるのだが、ここまで立て続けに読んできて、タイトルと作品の中身が混然としてきた。
前のめりに次々と読んでいるので、中身がトコロテン式に押し出されているということか・・・
自前の本なら読み返せるのに・・・とちょっと思うが置き場所がないのは致命的。


とりあえずこの辺で一旦小休止して、少し落ち着こう。




by quilitan | 2017-05-18 21:47 | 読む | Trackback | Comments(0)

土筆野 : 中里恒子

図書館の、閉架書庫に入っているものを資料請求で出して貰う。
中里恒子の本は全てその形で借りているのであらかじめ内容を確認できない。
今回も半分は以前読んだ別の作品集に入っていた。
どれを読んだのか、そろそろわからなくなってきた。
ちょいちょい借りに行くのも面倒くさい。
ほんとうは5冊までは借りられるけど、2週間で読み切るのもちょっと微妙なので
控えめに3冊くらいにとどめていると、これが読み切っちゃったりするのだな。

閉架書庫で眠っているくらいなんだからどうせ他に借りる人なんていないんでしょ?
本に貼ってある貸出し簿では最終貸し出しは昭和50年代だよ・・・?
この際貸し出し冊数も期限もオマケしてくれないかしら、なんて
ちょっとわがままな気分になっております。

by quilitan | 2017-04-26 20:18 | 読む | Trackback | Comments(0)

誰袖草 : 中里恒子

表題作「誰袖草」と、「置き文」。

実は私の本棚には日本の女性作家の作品が非常に少ない。
複数冊あるのは近藤史恵と篠田節子と佐々木丸美、おっと髙村薫先生も女性であった!
まあそんな感じで、あとはパラ、パラ・・・

そんな私がどっぷりはまり込んだ中里恒子の作品。

読み始めた当初は何でこんなに次々と読みたくなるのだろうとあれこれ分析もしてみたものだが
こう続いてくるとそれも意味のないことに思えてきた。
とにかく読みたいから読むだけ、それで充分である。
もちろん中にはちょっと読み飛ばすようなものもあり、そろそろ「飽きたかな」と思うと
また潜水するように浸りこんでしまったりして楽しんでいる。

この作家の芯の強さ、そして現実と仮想世界を隔てる垣根の低さに
確かに私が好んで読む女性作家の系譜と同一線上にあるのだと納得するのである。
作家の年代を考えれば、むしろ根っこにあたるといってもいいかもしれない。

自分の好みが偏っているのは承知しているが
でも中里恒子は芥川賞も受賞しているわけだし、“今” もっと読まれてもいいのではないかと思わずにはいられません。



by quilitan | 2017-04-23 20:40 | 読む | Trackback | Comments(0)

水鏡 : 中里恒子

読書メーターが開けなくなっちゃったのでその代わりの覚え書き。

頭の中がすっかり旧仮名遣い文になってしまっています。

こんなに図書館を利用したのは久しぶりだなあ。
とりあえず市の図書館にあるぶんは全部読む。




by quilitan | 2017-04-16 23:38 | 読む | Trackback | Comments(0)

百萬 :中里恒子

図書館にも全部揃っているわけではなく
本気で全集買いたいと思う今日この頃です。



ちょっと前のイケセイの古本市で買えばよかったなあ・・・
まさかここまではまるとは思わなかった。




by quilitan | 2017-04-09 21:55 | 読む | Trackback | Comments(0)

關の戸 : 中里恒子

本当にこの作家は・・・ひとことで言えば猛烈頑固者(だからこそ作家だったとも思う)。
まあ扱いにくいおばさんなんだろうなあ。
ただ、感情的にはけっこう突き抜けるのに、それを一旦深呼吸して自分の中に納め
もう一度別の形で表に出す。
実際に作者の回りで起こったこと、を「作品」にちゃんと昇華している。
そこが作家たるゆえんだとあらためて思い知る。
そういうところが好きなの。

ちょっと自分にある部分を感じつつ、この扱いにくさを面白く読んでいるが
これも自分の年齢が上がったせいだろうか。
今出会うべくして出会った作家なのかもしれない。


今朝の新聞の投書欄で、再び「読書は必要か不要か」のようなテーマが取り上げられていた。
でも読書は趣味なので、嫌ならしなければいいのである。
押しつける気はまったくありませんが、面白かったら「面白いよ!」とお勧めはする。
だって「好きなモノ」はお勧めするのが人の常。
私は読書を試験と連動して考えることに非常に違和感があるので
同じように考えている人もけっこう多くてちょっと安心。


しかし・・・やっぱり全集買っても良かったんじゃね?と思う今日この頃。



by quilitan | 2017-04-05 08:35 | 読む | Trackback | Comments(0)

家の中 : 中里恒子

はい、また中里恒子です。

これの前に「回転椅子」というのも読んでいます。

今回は、作家本人の身辺に起きたことを軸につらつらと書いているということだが
それでも“エッセイ”というよりは短編を読んでいるような感覚。

この人の価値観というか考え方が、何となく他人事と思えないところがある。
〈よそ様の生き方をとやかく言わないのでわたしにもそのようにお願いしたい、
 わたしのことはわたしが決めますので〉
口調は丁寧だがそれだけは譲れない、という堅い意思が感じられる。
小気味良いオバサンだ。

これまで読んだ作品から「孤独の肯定」を感じたのは間違いではなかったようだ。


読書メーターがバージョンアップして私のPCに合わなくなり
あっちに書き込めなくなっちゃったのが不便である・・・


by quilitan | 2017-03-30 22:14 | 読む | Trackback | Comments(0)

解脱したような真っ直ぐなヒトと、彼の隣で自立している猫。
読み始め早々から何となく話の成り行きが想像できたのに併せて
これはまずい、外では読めない!と思った。
「いつかまた会えるね」は禁句でしょ〜。
これはもう・・・心臓のど真ん中に突き刺さる。

話の展開はおおよそ予想通り、でも涙腺の決壊は予想を遙かに上回って滂沱の涙となりました。


これは幸福なお伽噺だ。


・・・そんなお伽噺なのに・・・
またどこぞの感動させたがり屋が「みんなで泣きましょう!」と実写化するらしい。
どうしてそれぞれの心で想像されるものを尊重してくれないのかなあ!!
大事にしまっておきたい気持ちを、特定の顔や声で決めつけられる残念さと言ったらない。
しかも猫に演技させることになるんだよねえ。
それってこの物語の根底に関わることだと思うんだが・・・

昨今の邦画界、活気づいているといわれてはいるが原作ものばっかりで
実情は想像(或いは妄想)する喜びを奪うことしかしていないのでは?と思う。




by quilitan | 2017-03-25 21:52 | 読む | Trackback | Comments(0)

うつつ川 : 中里恒子

貸出期間延長して、余裕余裕と思っていたがあっという間に返却期限がまた近づいてきた。
あと一冊残ってるんだが・・・

これは、そこそこの資産を持って "道具" を集めているひとと
それを遺されてしまった奥さん方、さらにはそれを取り扱う「道具屋」という人種について
書き綴られた短編集。
ものの美しさと、金銭的な価値と、所有欲やら算盤勘定などあれこれ入り交じって
なかなかシビアな書き方をするので面白かった。
「道具」という言い方がちょっといいですね。
いまどきはしないもの。
鑑定価格が目の玉飛び出るような美術骨董品というほど敷居の高いものではないけれど
好きで「もの」を集めるというのは、やはりある程度気持ちの余裕がないと出来ないことなので
そういう感覚はきっと作家の育ちの中にあるんだろうなあ。
また、そういうものをお金に換算する人というのもきっとたくさん見てきたのではなかろうか。

続けて読んでいるうちに、この人はちょっと男目線なのではないかと思えてきた。
だからといって肩肘張って強がったようなものではなく、人を見るのにとてもフラットなのである。
だから女性にも男性にも甘くない。
執着心や欲に関して結構手厳しい。
際どい設定でもどろどろのメロドラマとしては書かないタイプですね。
綺麗にまとめてしまうと言えばそうかもしれないが、画家でいうと風景画家みたいな感じだろうか。
私の脳内にはゲインズバラの絵が浮かんでくる。


最近、大学生の読書量がほぼゼロ、というようなことが新聞に載っていた。
さらに大学生の投書で
「本以外のものから今は知識も得られるし、読書しないことが一概に悪いとは思えない」
というのもあった。
確かにそれも一理あるし、強要されて読む苦痛も知っているので無理強いは反対だ。
だいたいが私も高校生までは活字は教科書くらいしか読んだことはなく
ひたすら漫画読んで育ったので偉そうなことはいえない。
それでも活字中毒に近い状態になってわかったのは、
読書って勉強のためでも知識を得るためでもなくただ単に面白いから読むのだということ。
漫画や映画と何も変わらない感覚。
面白いものがひとつ増えるかもしれないのに「いらない」ではもったいないなと思うだけ。
(但し、自分に読書は不要だと本人が言い、私もその人に関してはそう思えるという人はいる)

「道具」は使い勝手も美しいから、そこにあるととても自然で落ち着くから持っている、
売って幾らにしようとかそういう話ではない、ということだ。


何かこじつけたみたいになってしまいました。

さあ、あと一冊、期限までに読まなくちゃ〜〜!


by quilitan | 2017-03-20 20:51 | 読む | Trackback | Comments(0)

着々と。

「真田丸」でも出てきた、宇喜多秀家とその奥方(豪姫)の物語。
男闘呼組の・・・タカハシなんとかが演じていたっけ。

充分な、細かい資料が多くない中でよくここまで内面を忖度して書ききるものだ。
でもそれこそが「作家」というもの。
器に入った"作り事"という赤い水に、"ほんとうのこと"という青い水を一滴垂らすことで
紫の"作品"を作れるのが作家。
不自然でなく、さもありなんと思わせるのがその力なのだ。
そしてここでもキーワードは「孤独」。
声高に信条よと叫ぶわけではないのだが、この人の作品には
「おひとり様ですが何か問題でも?」というようなニュアンスがある。
そのへんが今読んでもあまり違和感がない理由なのかもしれない。


こんなことなら全集買っても良かったかもなあ・・・
でもエッセイなどにはあまり手を出そうとは思わないのでやはり図書館が無難か。



by quilitan | 2017-03-11 23:33 | 読む | Trackback | Comments(0)

猫と雑文ときどきお絵描き  
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