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天空の蜂

これは期待した以上に良い作品だった。

堤幸彦監督は嫌いではないが、ものによって出来の良し悪しがはっきり分かれるタイプだと思う。
いくつか観ているはずなのだが映画では「堤監督のこれを観た!」という印象はあまりなく
TVの「トリック」シリーズを好きで観ていたので、どこか変なハズし方をする監督だと思っていた。

でもこれは本当に真っ向勝負の作品だ。直球も直球。
ああ、こういうものも作れる人なんだ。
あまりの真っ直ぐぶりに「亡国のイージス」を思い出した。

ただもう一方の主役〈ビッグ・B〉という大型ヘリは、ちょっと軽量に見えて残念。
ギガントみたいな感じ・・・普通に飛んでいた本物のヘリの重厚感より劣ってしまった。
まあ仕方ないかな。


   以下ちょっとネタバレです


原作は東野圭吾が阪神淡路大震災の起きた1995年に発表したもの。

空自に納入される最新鋭巨大ヘリの操縦システムが奪われ、高速増殖炉(もんじゅくんだな)の真上でホバリング。
「天空の蜂」を名乗る犯人は日本中の原発の即時全面停止を要求する。

燃料切れになればいずれ原子炉に真っ逆さまに落ち、そうなれば「未曾有の災害」となるだろう。
だが要求通りに原発を停止させるというのは「原発絶対安全神話」に水を差すものとなる。
納入式典に来ていた設計技師の息子がたまたまそのヘリに潜り込んでしまうという突発事態も起き
決死の救出劇あり、官邸側と発電所の現場、反原発と原発推進の住民の相克あり、父と子の情あり
このようにあちこちからの視点があって、しかも映画的に見せる要素もふんだんに盛り込んで
次から次へと展開していく。
そしてヘリを奪った犯人の特定も派手ではあるがあまり手間取らずに進むのも
実は「共謀者」であり本丸は別にいるからだった。

欲張ってはいるのだが(おそらく原作もそうなんだろうが)それぞれのバランスが見事。
できすぎと思わせる場面もあるにはあるが、そこは映画なのでよしとするべきだろう。
多分その「いかにもな出来すぎな」とか、意味もなく曲者の刑事とか、佐藤二郎の刑事とかが
堤幸彦的部分なんだろうなとは思ったが。

でも、何よりこの映画で特筆すべきは本木雅弘だと思った。
主演の江口洋介とほぼ同じ分量で、同等の位置でそこにいる本木雅弘の演技は圧巻。
こんなに巧かったんだっけ、と今さらながらに思うほど魂が入っていたように見えた。
「おくりびと」も観たけどその時はそこまで感じなかった。
まああれはあまり感情を表に出すものではなかったからかもしれないので比べるのが間違いかもしれないが。

江口洋介は、まあいわば「弱いけど共に戦うことを見出した善」の側で
本木雅弘は「弱いゆえに打ちのめされて孤立し悪(必要悪か)に転じた」側。
そういう対峙なので、江口洋介が弱まるのは仕方ないのだが
でも、やはりこれは本木雅弘に食われたという感じだ。


そして、誰もが言っていることだがこの原作が書かれたのが1995年であるというのがとても大きい。
阪神淡路大震災の映像は、寸前まで華やかだった街の変貌ぶりに誰もがショックを受けた。
この日本に住むということは、あれがいつ自分の上に降りかかってもおかしくないということだと
思い知らされたはずだ。
いつ、どこにいても、「絶対安全」などあり得ないと。

況んや原発をや。

おそらく作者もそういう気持ちだったのだろう。
だから“あの”震災では問題にならなかったであろう原発をモチーフに
この国のあり方、私たちの覚悟のあり方を問うたのではないだろうか。

まさか、それから16年も経って、何一つ準備がなされていなかったとは。
そしてもうひとつの“まさか”・・・
地球の地殻変動の中ではほんの一瞬でしかない短い時間だけれどその一瞬のうちにさらに恐るべき災害が起こるなんて「まさか」だったのだ。
16年、人間には充分な時間のはずだったのに誰も何もしなかった。
もちろん自分も含めて、だ。

その当時は“モチーフ”でしかなかった原発が、今では切実な現実問題となっている。
そしてその「未曾有の」大震災から既に4年経ってもまだ何も変わらない。
いや、また変えない方向に堂々と舵を切っている。

今、この作品が映画になるというのはそういうことだろう。


東野圭吾は「プラチナデータ」しか読んでいないけれど、読ませ方を心得ている。
堤幸彦もある意味見せ方の妙を心得ている監督なので過激ともいえる描写になるのは当然だ。
でもその根底にあるのは「今」を見据える眼だ。
その眼で表現されているものをどう観るか、ということだ。

だから本木雅弘のあの演技を作り出したということが、この映画の主眼だったように思える。

その後ヘリから助けられた技師の息子は長じて自衛官となり、東日本大震災で救援活動を行っているというのが締めくくり。
もちろんこれは映画のオリジナルだろう。
原発を現実の「事象」にしたのは東日本大震災なのだから、これを付け足したい気持ちは分かる。


でも、個人的には本木雅弘の演技で締めたかったかな。

最後に彼が記した、今この国がやるべきこと、ひとりひとりが考えるべきこと、テロ行為に託したその本心が切々とディスプレイに映し出されるシーン。
映画なのにあまり言葉でテーマを語るのは芸がないと常々思っているのだが
これはけっこう胸に響く・・・と思いきや、無情にもその言葉はあっさり宙に消し去られる。
コード1本。それを抜いて終わり。
これはちょっとやられました。
by quilitan | 2015-10-02 09:28 | 見る | Trackback | Comments(0)

猫と雑文ときどきお絵描き  


by quilitan
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