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凶悪

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川越スカラ座で『極悪ウィーク』・・・・
バレンタインデーに向けてこのラインナップはかなり挑戦的ですね。

それはともかく、ずっと見たかった「凶悪」。
最近あまりピンと来る映画に出会っていなかったところに
やっときた「映画を見た!」と実感できる作品。
面白い、というのもちょっとピンと来ないし、見応えがあるというのも
言葉足らずのような気がする、そんな質量のある映画だった。
この作品の作り手は、〈映像で見せる〉ということが肌でわかっているんだと思った。


実際にあった凶悪な殺人事件をベースにしているといっても
それはピースの一つであり、そこに周りの背景を組み込んでいって
ただの「猟奇犯罪事件の映画」ではない立派な作品に仕上げて見せた技量はすごい。
とにかく全編通じて、無駄なピースがまったく見あたらない。
そしてキャスティングがこれ以上も以下もない絶妙さではまっているのだ。
メインだけじゃなくサブ、端役に至るまで、過不足なし!

予告などで見知っていた部分で、安定の山田孝之はさておき
リリー・フランキーの異常さが際立っているという印象があったのだが
それよりピエール瀧がすごい。
彼の目つきの変化は一見に値する。
この映画の要はそこにあると言ってもいいかもしれない。



冒頭、いきなり痛いリンチ殺人場面の連続でけっこう衝撃はあるものの
「誰が、誰を、何のために」痛めつけているのかいちいち説明せず
意味のある暴力になる手前でサラッと場面転換をするので
ただピエール瀧演じる男が極悪非道な犯罪者として裁かれる立場に置かれる
ということだけがわかる。
(ちなみに、それぞれの理由は後々ちゃんと物語の道筋に沿った形で見せられる)

この切り替えのタイミングが本当にうまいのだ。
映画の内容からいっても、暴力シーンは多いし残虐さは出さないといけないけれど
やりすぎたら気持ち悪さだけが残って観客の気持ちが引きかねない。
出過ぎず、軽すぎず、このさじ加減はやはりセンスなんだろう。

死刑判決を受けて上告中の暴力団幹部(ピエール瀧)が
雑誌記者(山田孝之)に、
殺人の指揮を取っていた首謀者「先生」(リリー・フランキー)を告発し
記者がその話の裏を取るという形で〈何があったのか〉を見せるこの映画、
ただ単純に裁く側と裁かれるべき側の真っ向勝負のようなことにはせず
「仕方ないじゃないか」という言い訳を双方に与え、その錯綜で物語が進んでいく。

裁かれる側であった死刑囚は、
人殺しの片棒担いで一蓮托生と慕っていた「先生」の讒言が原因で
可愛がっていた弟分を殺してしまったことから怨み百倍、
ともに地獄まで引きずり落としたい一心でそれまで黙っていた
「先生」絡みの殺人の余罪の告発者になる。
死刑囚は個人的な怨恨で「悪」がのさばっているのが許せず
記者は純粋に悪を暴いていくことで裁く側に回る。

告発された「先生」は、
確かにいとも簡単に人を処分して懐を肥やす「悪」なのだが
その殺意は異常でも何でもなくて、日常の中に転がっている感情の
延長にしか過ぎないこともちゃんと映し出す。
たとえば  ・・・大酒飲みで膨らみきった借金のある老父なんか早く死んでくれれば
生命保険が下りるのに・・・  という家族の存在。
「先生」はそれを手助けして、しかも大金が手に入っちゃうなんて最高でしょ、と。

記者は、第三者の立場なので本来なら純粋に裁く側に回りそうなところを
自分の家庭が抱える問題のその先に「死んでくれれば」が置かれていて
正義の告発者然とした存在にならずにすんでいる。
こういう配置がすごくうまい。
わざとらしくなく、しっくりはまる。
(認知症の母親がだだっ子のように妻の頭を叩く様がやるせなかった)

死刑囚の幹部に至っては、他人は殺しても自分の死は怖いわけで
弟分の復讐とはいいながら、我が身可愛さの捨て身の告発なのである。


最初はまともに受け入れられなかった〈死刑囚の告発〉が、記者の裏取りが取れた件でのみ
かろうじて「先生」の罪は裁かれることになる。
そして「先生」は1件分の刑を受け、死刑囚は告発したおかげで減刑となった。
ここで死刑囚が告発者になり、「先生」が裁かれるという立場の逆転があからさまになった時の
ピエール瀧の目つきは出色!
凶暴と殊勝さと親愛と達観を目で表現するピエール瀧、すごい!
教誡師によってクリスチャンになり、心穏やかになったというその目は
どう見ても上から目線なのである。
かつて子犬のように従っていた「先生」に対しても
自分の告発を取り上げてくれた記者に対しても。
もう自分は生まれ変わったのです、生きる喜びを見出しています、と。
こう来たか、と思いましたね。

最後、拘置所にいる「先生」に向かって
明らかにされないままになってしまった余罪は必ず暴いてみせるといった記者に対して
「自分を本当に殺したいと思っているのは幹部じゃなくてさ・・・・」と指さす「先生」。
ここにも「誰にもある普通の感情」としての殺意の存在を突きつける。
それに驚くでもなく、かといって憤慨するでもなく
じっと真正面に向き合う記者の目もまた素晴らしい。
最後まで「見せる」映画だった。



あらためて生きて罪を償う、ということを考えてしまう。
どんな罪も生きて償う方がいいのだろうか。
生きていれば当然、どんな小さなことにせよ喜びはあるはず。
他人からその権利を奪った者が、自分はそれを享受するのだろうか。
祈って救われて良いものだろうか。
祈ることで簡単に救われてしまう人と、そんなものなくても後悔していない人、
どこにも異常性が感じられないのが恐ろしい。



ずいぶん前に読んだ短編を思い出した。
交通事故の被害者の母が加害者に
「何もしなくていいから毎月命日に必ず葉書を下さい」と頼む。
加害者は、そんな簡単なこと、と請け合う。
ところが、毎月必ずというのは簡単なようでいて実はけっこう縛りのあるもので
加害者はどんどん苦痛になっていく・・・・

そして人間は忘れていくものなのです。




こんなブラック映画を見た後は
美味しいコーヒーとスコーンで一服・・・・・
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ああでももう一回見たくなっちゃったなあ。
これこそ劇場で見るべき映画で、家ではとても見る気にならない。
ちょうどスタンプがたまって1回無料で見られるから行っちゃおうかな。
by quilitan | 2014-02-04 02:08 | 見る | Trackback | Comments(0)

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by quilitan
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